🇺🇸 アメリカへのアラスカ売却を提案した人物
ロシアの植民地の一部を米国に割譲するという最初の提言は、1857年に皇帝アレクサンドル2世の弟コンスタンチン・ニコラエヴィチ大公が行ったものである。彼は海軍を管轄し、クリミア戦争後に著しく悪化していた財務状況の改善のため、予算の削減方法を検討していた。
4月3日に大公はニースから外務大臣アレクサンドル・ゴルチャコフに書簡を送り、窮状を打破する提案を行っている。この書簡では、米国の「国庫に余剰金がある」のを利用し、アラスカとアリューシャン列島の売却を提案している。
「米国が北アメリカにおいて覇権を握るべく、我々からこれらの植民地を奪い、我々はこれを取り戻す術を持たないであろうことは、疑うべくもない。一方、これらの植民地が我々にもたらす恩恵はかなり少なく、その喪失は大きいとは言えない」
と、大公は書いている。
ロシアによる植民地支配は国策会社の露米会社が担っていた。露米会社は半島における狩猟・漁労、資源開発と販売の独占権を有していた。しかしその利益も、かつてほどの規模ではなくなっていた。広大かつ人口の少ない領域は管理が困難な上、地域へのイギリス並びにアメリカの勢力拡大は、確実にロシア領アメリカにとって脅威となっていた。
実弟の書簡について、皇帝が「この案はよく考えるべきである」と反応したのも、不思議ではない。しかし、実行は1861年まで持ち越された。同年、20年ごとに更新される、アラスカにおける露米会社の独占権が終了する予定だった。その後、アメリカで勃発した南北戦争のためにさらに延期され、ようやく1867年になって、歴史的な一大取引が完了した。
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